英文法に縛られミスを恐れた初級の頃

今でこそ英語をスラスラと話せるようになりましたが、初級の頃はずいぶんと話せなくて、悶々としていたときがありました。

それは、ミスを恐れたことが原因でした。

自分が話そうとするときに、その文章が文法的に正しいと思えたときには話すことができるのですが、正しいと言い切れないとき、つまり間違っているかもしれないと思う部分があるときには、どうしてもその文を話し出すことができなかったのです。

中学のときに英語のテストで高得点をとるため、文法にがんじがらめに縛られてしまい、それ以来、細かい部分までよくチェックして、すべてが正しいと思えるようになってから初めて、次のステップへ進める・・といったように。

テストで点数を取るため、全体の意味を重視するのではなく、重箱の隅に目がいってしまうという、細かな部分まで完全にしなければという結果が、「不完全と思える文は話せない」・・となってしまったのでした。

cannot speak

 

やってきた変化のとき

しかし、長く海外に滞在して、欧米人以外の非ネイティブの話す英語を聞いてから、ようやくその考え方を改めることができたのです。

間違っても構わずに話しているじゃないか!
意味が少しでも通じれば良いという感じかな!
通じなければどこまでも話し続けているよ!

まったく自分とは違うスタンスでした。

おそらく、話さないと自分の思うことが実現できないという事情に迫られていたから、そのようなスタンスになったのだと思います。無理して話さなくてもほとんど困らないという、自分の環境とはまったく違う部分から、そのようなスタンスになったのだと感じました。

何か目からウロコが落ちるような感覚になったのを覚えています。

テストじゃないんだから、もっと気楽に取り組めばいいんだ!
と、大きく英語に対する姿勢を変えることになったのです。

なぜそうしたかというと、
多少のミスは気にせずどんどん話す方が上達は早い!
結局、英会話上達の近道は、失敗を含めた練習回数なんだ!
と、強く強く感じたからでした。

「この文だと大丈夫」と思えた時にチョロチョロっと話すスタンスでは、決して会話は楽しくありません。英語を話すことは、緊張を強いられる避けられない試練のようなものだと感じていたのですが・・。

英文法と気楽に付き合う

日本人(過去の自分)は英語を話すときに、非常に文法を気にする人が多いですが、実際のところ、文法的なミスをすると話しが通じなくなってしまうのでしょうか。

例えば、三人称単数現在の「s」を抜かして
He play- baseball.
と言ったら、相手はぜんぜんわかってくれないでしょうか・・。

いいえ、決してそんなことはありません。

間違いなく「彼は野球をする」という内容をわかってくれます。
ただ、(この人は「s」を抜かしたな)と思うだけです。

もしも、自分の言っていることが通じないようなことがあったなら、その時に補足や修正をすれば良いだけなんですね。

極端な言い方をすると、単数/複数、現在/過去、時には単語のスペルや発音さえ間違っても、文の前後関係があるのである程度の内容は伝わるものです。恐れることはありません。

唯一、仕事などでの取引契約や金額関係での内容などは、十分注意が必要ですが、日常会話では心配する必要はないのです。

わからなくて相手に聞き返されたなら、正しく言い直せばいいのです。

このように英語に対する考え方を180°変えてからは、どんどん自分から積極的に話しかけるようにしたのでした。まずは挨拶から。

すると、相手の方からもどんどん自分の方を向いて声をかけてくれるようになりました。通じても通じなくても会話は続きます。通じなければさらに質問がきて、それに返答することで一層会話が続いていきます。

英会話でコミュニケーションすることが、本当に楽しいと思うようになったのは、この頃からでした。
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