9) オープンカフェで始まった日曜午前の個人授業
日本人クラブのスタッフを相手にした英語会話が刺激となって、俄然やる気が起きてきたのでした。そしてもっと話せるようになりたいとの欲が出てきて、何か新しい英語学習の取り組みが必要だと考え、当面の進め方を見直したのでした。
・重要基本文をピックアップ
・毎日繰り返し音読してしっかり暗記(木の幹)
・単語を入れ替えてスピーキング練習(枝、葉)
そして、
・週2回、日本人クラブへ行って実戦練習
ということを決めて、これらを真面目に続けました。
続けるうちに、錆び付いていた頭の中の歯車は、少しずつ回り始めたような・・。英語モードへの切り換わりが少し短縮?
「近くに住んでいるの?」
「両親と一緒に住んでいるの?」
「どうやって通勤しているの?」
「台湾はどうだった?」
「日本をどう思う?」
「もっと海外旅行をしてみたい?」
・
・
少しずつ変化が
毎朝の音読と単語入れ替え訓練のおかげで、5分間でオーバーヒートしていた頭は少しずつ回転数が押さえられ、会話のやり取りも少しは楽になってきたような気がしました。
あるとき、楽しく話せそうな話題が思いつかなかったので、英語の文法や学習方法について質問してみました。
A:「どうやって単語は覚えたらいいの?」
B:「いろいろあるけど、私は単語メモを作ってあちこちにペタペタと貼り付けていました。よく目の付く場所に」
A:「英語の本とかテキストは使って勉強するの?」
B:「アメリカの英語だけの文法テキストを使っていました。」
B:「英語だけで解説された幼稚園や小学生用のテキストを使うのがいいと思うよ。」
B:「そして良いと思った1冊を、徹底的にやり切るのが大事ですね!」
などなど。さすがは優秀な大学を出たばかりの人です。
上手に返答して教えてくれます。
このような流れの中で、もしも出来るなら日曜日に家庭教師のアルバイトとして、私に英語を教えてもらえないかとお願いしてみたのです。
基本的にはOKとの返事。
1時間当たりの手当てを確認すると3ドルとの希望でしたが、ベトナムの外人向け家庭教師の相場は1時間10ドルと聞いていたので、2ドル上乗せした5ドルでやって欲しいと提案。
快く引き受けてもらうことができたのです。
レッスン開始
日曜の午前中、9時から11時までの2時間、英語のレッスンをすることにしました。場所は彼女が知っているオープンカフェで。
8時50分にマンションの近くまで迎えにきてくれるとのことで、同僚に見られるとまずいので、少し離れたところで待っていると、彼女がバイクでやってきました。
私は後部シートにまたがり、目的地まで移動です。バイクの二人乗り。何台ものバイクが川の流れのようになって、次々と走ってくる道路の中へサッと乗り出し、上手に合流してどんどん進んで行きます。
とてもスリルがある・・・というよりも、初めはかなり怖かったというのが本音です。
(そのうち慣れましたが)
店に到着。すぐに店の前にバイクを停めて店内に入り、奥の階段から上の階へ。2階かと思ったのですが、さらにその上へ。そして3階の道路側へ突き出したテラスのテーブルに着席です。
3階なのでお客は少なくて、静かでさわやかな風が当たる気持ちの良い場所でした。
彼女は自分の英語テキストから何枚かをコピーしてきており、それを使って英文法の学習です。文法だけではなくて、基本構文やフレーズ、単語などについても丁寧に説明してくれます。
もちろん、説明や質問、返答などすべて英語です。
最初の頃は、学習が半分、電子辞書操作が半分というような状況でした。
毎回、甘いキャラメルのような香りのするベトナムコーヒーを何杯も飲みながら、1時間は文法中心に学習し、残る1時間を質疑応答やフリートーキングをするというようにやってました。
楽しいことは時間が経つのが早いもので、あっという間に3ヶ月半が経過。そしていよいよ、家庭教師とマンツーマンでやってきた学習の成果を確認できるときが来たのです。
(最初はその意識は無し)
苦しまぎれの5分間が楽しい30分間に
ある時、家庭教師の先生が社会勉強をしようと言って、一緒にテーマパークに行きました。いろんな単語やフレーズの学習を兼ねて‥と。
いろんなアトラクションや乗り物に乗ったあと、ボートに乗り込んで湖の上を移動しながら、いろいろな話題について話をしたのでした。
会社のこと、帰国のこと、日本のこと、家族のこと・・など。
また、ハノイの大学のこと、将来の夢、海外カンパニーへの就職を考えていること・・など。
とにかくいろいろと、切れ目なく会話を続けました。
そして予定したコースが終わり出発点にもどったときには、すでに30分を大きくオーバーしていました。
そして、とても驚いたのです!
ただただ、話に夢中になって時間のことを忘れていたのですが、ボートを降りたとき、連続して30分以上英語で話していたことにようやく気がついたのでした。
そのときの気持ちは、今でも忘れていません。
「ワァーオ、これからは ”英語が話せます” と言えるんだ!」
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